よくわかるモンドリアン第2弾。
モンドリアンさんのキャリア初期からパリ時代まではこちら
よくわかるモンドリアン1@ハーグ市立美術館
パリでの生活も板についてきて、すっかりパリジャンになったかに思われたモンドリアンさん。
ところが1930年代後半に、その安住を揺るがす事態が起きるんだ。今回はそこからスタート!
パリからロンドンへ
1938年、モンドリアンさんはパリに忍び寄る第2次世界大戦の気配に怯えていたんだ。彼の作品はナチスによって「退廃芸術」に指定されてしまい、迫害にあう恐れもあったしね。ナチスの影響を恐れた彼は、パリを離れ、ロンドンに移る。66歳での決断。
Composition with line and colour III (1937) パリを去る前年の作品 |
新しい環境の中で、彼は制作活動に励もうとするんだけど、このころから、絵を描くと手がむくむようになり、ひとつの作品を仕上げるのに時間を要するようになったみたい。
そんな彼の気晴らしはダンス。夜な夜なロンドンのジャズクラブで踊っていたんだって。
とはいえ、彼はこの時期にギャラリーで展覧会を開いてるし、芸術家として枯れてしまったわけではなかったんだよ。
ところで、このころに彼がダンス以外にはまっていた意外なものがあるらしい。それが、ディズニー映画の白雪姫と七人の小人!
世界初の長編アニメーション映画にすっかり感心したモンドリアンさんは、さっそくディズニーのポストカードを買って兄弟に送ったんだって。しかも、署名はSleepy(ねぼすけ)。
著作権の関係でモザイクw ねぼすけのファンだったのかな? |
ニューヨークでのさらなる進化
ロンドンでの生活が2年目に差し掛かったころ、ヨーロッパで第二次世界大戦が始まる。パリ陥落の1940年にモンドリアンさんはロンドンを後にしてアメリカ大陸へ渡ったんだ。
目指すはニューヨークのマンハッタン。68歳の時のこと。
モンドリアンさんの移民登録証のコピー |
趣味のダンスを通して、彼はニューヨークで「ブギウギ」に出会う。この新しいリズムは彼を鼓舞し、新たな着想を与えたみたいだね。
風景画から転向して以来、長らく抽象の世界にどっぷりとつかっていたモンドリアンさんに、久しぶりにリアルなテーマを与えたのもこのブギウギだったんだ。
ブロードウェイ ブギウギ、MoMA (この作品は今回の展覧会にはないよ) |
幾何学的な構図ながら、ブギウギのリズムとマンハッタンの格子状の通りを連想させる作品。
彼は1944年にニューヨークで亡くなるんだけど、その時に未完成のまま残されていた作品もまた「ブギウギ」。
ヴィクトリー・ブギウギ |
70歳近くなってからの作風の変化。抽象からリアルへの回帰。2度の戦争に翻弄され大西洋を越えた画家は、人生の最後にマンハッタンの喧騒に何を見たんだろうね?
おまけ
展覧会のポスターの風車の絵は、常設展の方にあるよ。
Mill in sunlight |
さて、モンドリアン回顧展「De ontdekking van Mondoriaan」はどうだったかな?
僕みたいなモンドリアン初心者にも分かりやすい展示法で、とっても楽しい展覧会だったよ。近くに来ることがあればぜひ行ってみてね。
デンハーグ市立美術館 概要とアクセス
それでは、今回はここまで。
Ciao!