Ciao!こんにちは!
今年はデ・ステイル100周年という記念すべき年ということで、オランダではちょっとした盛り上りを見せてるよ。
デ・ステイルと言えば子どもの頃一度は、ハマったことのあるアレでしょ?バーコードを使った・・・、
え?違う?
そ・・・そうそう!デ・ステイルってうのはくびれのついた柔にして硬な容器に入ったシャーベットのことだよね。最近見なくなったけど、今もどこかで売ってるのかな?
え?これも違う?じゃあ、
デ・ステイルってなんだ!?
問題:デ・ステイルとは何でしょう?A.バーコードバトラーの正式名称
B.チューペットの正式名称
C.1917年に創刊された雑誌の名前
答え:C
デ・ステイルとは、オランダで1917年に創刊されたアート系雑誌の名前なんだって。
De Stijl 雑誌といっても写真はなく、 理論について語る寄稿文中心 |
今日の流れ
1.芸術の潮流としてのデ・ステイル
2.雑誌De Stijl
3.たかが斜線、されど・・・
4.デ・ステイルの終焉と影響
先に言っておくと、僕は抽象画が苦手だから今日はちょっと自信がないなぁ。もし間違った内容があったら指摘してね。
デ・ステイルDe Stijlはオランダ語。意味は英語でいうところのThe style。
タイトル通り、芸術を根本から再定義した新しい「様式」を芸術家、建築家、デザイナーなどクリエーターたちに提案することを目指した雑誌だったんだって。
芸術の潮流としてのデ・ステイル
デ・ステイルは雑誌の名前であると同時に、20世紀前半にオランダで興った芸術の潮流でもあるんだ。その源流となった芸術家が、オランダが誇る20世紀アート界のビッグスター ピート・モンドリアンさん。
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1899年 27歳の時の写真 |
彼は、もともと風景画を描いてたんだけど、キュビズムから刺激を受け、抽象画の世界へと足を踏み入れる。
当時の彼の目標は「キュビズムの向こう側」を見ること。キュビズムは、当時最先端の抽象表現だったんだけど、彼は何か足りないと感じていたんだ。
そして何年かの試行錯誤の後に、彼は「新造形主義」というスタイルを生み出す。
それは垂直と水平の直線、原色(赤・青・黄色)と非色(白・黒)だけを使用する、潔いまでのシンプルさを特徴としていたんだ。
モンドリアン、コンポジション4 赤・青・黄 |
この新造形主義こそが、雑誌「De stijl」が当初提案していた、新しい「様式」のことね。(この、当初っていうのが後で効いてくるからね)
このスタイルで活動していた芸術家・建築家は他に、テオ・ファン・ドゥースブルフさん、ヘリット・リートフェルトさんたちがいるよ。
雑誌「De stijl」
モンドリアンさんは仕事のためにパリに住んでいたんだけど、オランダに帰郷した時にドゥースブルフさんと出会う。彼は当時、作家、詩人、芸術関係の批評家など、アート関連分野を手広くやってたの。
この出会いをきっかけに、1917年にドゥースブルフさんが雑誌デ・ステイルを創刊したんだ。
雑誌の中で自分たちのスタイルを発表していったことで、モンドリアンさんたちのグループは「デ・ステイル」の名で認知されるようになったわけさ。
ちょうど明治時代に「白樺」で活動していた人たちが白樺派と呼ばれるようになったみたいにね。
たかが斜め線、されど・・・
新造形主義の立役者モンドリアンさんは、1925年にデ・ステイルを去ることになる。そのきっかけとなったのが「対角線の乱」
モンドリアンさんが提唱する、垂直と水平の直線と三原色+白黒だけに要素を絞り込んだスタイルは、建築や家具などの立体作品を作る際には、なかなか厳しい制約だったの。
とくに、ドゥースブルフさんが、ドイツのバウハウス(アート・建築・デザインの理論を総合的に学べる学校)との関りを強めたことから、建築に応用しやすい理論を求め始めたの。
そこで彼は、「対角線も入れていいことにしよう」と要素主義という新しい理論を提案したんだけど、これが契機となって対角線の乱が勃発!
結果、斜めに走る対角線を受け入れられなかったモンドリアンさんがグループを去るという結末に至るんだ。
たかが対角線、されど対角線。
デ・ステイルの終焉と影響
モンドリアンさんが抜けた数年後、雑誌デ・ステイルは廃刊に。さらに、1931年のドゥースブルフさんの死をもって、グループ自体も解散。もともと緩いつながりのグループだったから、中心メンバーが居なくなってしまい、自然消滅的な最後だったみたい。
デ・ステイルの様式も、ドゥースブルフさんが提唱した完全な形を保つことはできなかったんだ。多くのメンバーはアレンジを加えたし、モンドリアンさんは新造形主義を突き詰めたりしていったからね。
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リートフェルトさんの2作品 シュレーダー邸(1924)はデ・ステイル様式に忠実 ファン・ゴッホ美術館はアレンジが見られる |
それでも、デ・ステイルは一時的な運動で消えてなくなりはしなかった。
各地に散らばった元デ・ステイル組は、それぞれの立場から後進のアーティストに影響を与えていき、今でもその精神は、抽象画、建築、デザインの中で連綿と受け継がれているんだって。
左上:イザ・ゲンツケン Untitled
右上:イヴ・サン・ローラン モンドリアンルック
左下:ロイ・リキテンスタイン As I opened fire
右下:ディック・ブルーナ ミッフィー
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さてと、デ・ステイルのことちょっとはわかってくれたかな?なんて言ってる僕が一番わかってないんだけどね。
それでは、今回はここまで。
デ・ステイルについてもっと知りたい人は、こっちも読んでね!
よくわかるモンドリアン1@ハーグ市立美術館
よくわかるモンドリアン2@ハーグ市立美術館
Ciao!