今回から8回に渡って、ベルニーニ☆ラリーと題してローマの街のベルニーニ作品を巡る旅に出てみるよ!(実際の旅は2017年7月初旬に敢行)
ローマといえば、僕も暮らした町なんだけど、死後500年近くたってるから住んでた時と変わってるところも多いんだ。
その最たる例が、ベルニーニさんの作品群。彼は、バロック期の人だから、僕の時代に彼の作品はなかったんだ。
今じゃ、ローマの有名な見どころで彼の作品を目にしないのは、トレビの泉と真実の口くらいだけどね。ベルニーニさんのローマ占拠率高し!!
とはいえ、僕が設計した礼拝堂に彼の彫刻が飾られたり、微妙な縁はあるんだよ。今回のベルニーニ☆ラリーでも紹介するから、乞うご期待!
そんなわけで、まずは最初のチェックポイントに行ってみよう!
※夏のローマは暑いから、涼しい季節がおすすめだよ。
チェックポイント1:聖テレジアの法悦
9月20日通りという覚えやすい通り沿いにある、サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会。教会の名前は覚えにくいね。
ベルニーニ☆ラリーひとつ目の作品はここに有るよ。
9.20通りにあるS.M.D.V教会 9月20日はローマがヴァチカンの支配から外れ イタリアに編入された日。1870年の出来事。 |
バロック期の芸術家や建築家って、人を驚かすのが大好きだったんだ。見る側もサプライズ大歓迎な時代。そんな供給と需要のバランスだから、バロック期は「衝撃的」「劇的」「思い切りやる」っていうのが芸術と建築のトレンドだったんだ。
こってり装飾された身廊と中央祭壇 |
代表作 聖テレジアの法悦
そんなイケイケな教会の奥、コルナロ礼拝堂に鎮座するのがベルニーニさん一番の代表作ともいえる「聖テレジアの法悦」。54歳の時の傑作。聖テレジアの法悦(中央) コルナロ家の人々 (右で見切れてる像) |
法悦とはエクスタシィだ!
作品自身も教会に劣らず衝撃的。なんたって「法悦」の原題では「エクスタシィ」だからね。とはいえ、卑猥系とかお薬系のアブナイ作品じゃないから大丈夫だよ。お子様からお年寄りまで安心してお楽しみいただけます。絶賛失神中のテレジアさん。 力なく垂れた手が、なまめかしい。 1515年生まれ 1622年列聖 |
僕は、失神してる聖テレジアより、それを見おろしてニヤニヤしている天使の方がよっぽどエロく感じるけど、君はどう思う?
天使のにやけ面は、もはや小悪魔。 |
この「宗教的絶頂体験」は、テレジアさんの著書では、下のように説明されているよ。
彼の手には黄金の槍が見えました。切っ先には小さな火がともっているように見えます。彼は私の前に現れ、私の心臓へとそれを突き刺しました。まさに内臓を突き刺したのです。彼が槍を引き抜くとき、それらも持って行かれたようでした。そして、私の体は、神の大いなる愛によって燃えるような感覚が残りました。その痛みは激しく、私は悶えました。しかし、その尋常ではない痛みの甘美さゆえ、私はそれを取り除きたいとは思えませんでした。・・・つまり、テレジアさんはドMだったってことでOKかな?
実は暗黒時代だったベルニーニさん
こんなに美しい作品を作ったベルニーニさんだけど、実はこの時、彼は苦境に立たされていたんだ。というのも、1641年に彼が設計したサン・ピエトロ教会の鐘楼にひびが見つかり、彼の実力を疑う向きがあったから。
さらにタイミング悪く、1644年には彼の一番のお得意様であり、パトロンだった教皇ウルバヌス8世もなくなってしまう。
信用と後ろ盾を亡くしたベルニーニさんは、バチカンから大きな仕事を回してもらえなくなり、これまで順風満帆だったキャリアにも影が差す。
そんな時期に彼に発注を出してくれたのがコルナロ家。
ベルニーニさんは、聖テレジアの法悦だけでなく、礼拝堂全体の設計と、周辺の彫像や装飾まで手がけて、名誉の挽回のために懸命に作品を作ったんだ。
結局、彼の評判は一回の失敗くらいでは地に落ちることはなく、礼拝堂が出来上がる前には、またバチカンからお声がかかるようになったんだけどね。
そんなわけで、ベルニーニさんの本気が込められたコルナロ礼拝堂は本当に美しい場所だよ。彼の天にも昇る神業を目にしたら、キミも昇天しちゃうかも♪
サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会へのアクセス
Termini駅から徒歩10分
メトロRepubblica駅から徒歩5分
バス 61/62/85/150F/492
住所:Via Venti Settembre, 17, 00187 Roma
開館時間:8:30~12:00 / 15:30~18:00
見学無料
それじゃあ、またね。Ciao!